月の光
透明な空に
噴水にはじける
金色の
数多の小さな宝石
父さんはぼくをピアニストにしたがっている
かなわなかった夢をぼくにおしつけてくる
ぼくは野球がしたいのに
オオタニのようになりたいのに
今度の曲は「月の光」
練習しているぼくに
父さんは難しい顔でこう言った
「なんだね、その弾き方は
夜会を終えた美しい恋人たちが
月下をそぞろ歩いて行く
そういう曲なんだ
甲子園の応援じゃないんだぞ」
本当にいやになる
そんなにょろにょろした曲、好きじゃないのに
だいたい、夜会って何なんだ?
「そぞろ歩く」ってどんな歩き方だ?
(よし、家出してやる)
ぼくは決心した
だけど、計画性が必要だ
父さんを困らせ、自分が幸せになるには…
「そうだ!」
ぼくはロストチャイルドになることにした
それには妖精か、魔法使いに頼む必要がある
妖精や魔法使いが集まる場所と言えば、もちろん
夜の遊園地だ
真夜中、ぼくは家を抜け出した
行く先は近所の動物園
動物園も遊園地みたいなものだから
でも、そこにいたのは妖精でも魔法使いでもなく
緑のラガーシャツを着た若い飼育員だった
「え、ロストチャイルドになりたいの、ピーターパンみたいに?」
彼はちょっと驚き
それでも、気持ちよく教えてくれた
「ちょうど、マウンテンゴリラのゲートが開くところだよ
だけど、一度入ったら、もう帰れないよ
いいの?」
ぼくはきっぱりうなずいた
チリリンと鈴の音
銀色のゲートが開く
中には若いゴリラがいた
ああ、知っている、来園者に人気のハナちゃんだ
それにしても、ハナちゃん
こんなにべっぴんだったっけ!
ぼくは、思わず、こぶしで、トコトコ、胸をたたいた
ハナちゃん、にっこりする
あ、ぼくに気があるみたい
ハナちゃんが「おいで」と駆け出す
ぼくは夢中であとを追う
気がつけばナックルウォークで…
群れに入って二月
ほんとにきつい毎日だ
何をするにもシルバーバックに気を遣う
ぼくの倍もあるリーダーだ
一度、ひどくかまれた
食事の順番を守らなかったというだけで
痛かった
ずっと痛い
雌や子供には甘いのに
若い雄にきびしいボスゴリラ
ぼくはいつもおびえている
目立っちゃいけない
ルールを守らなくちゃいけない
ハナちゃんと遊ぼうとしてもにらまれる
「ハナちゃん、ぼくのお嫁さんになるんじゃないの?」
さみしくて、そう、たずねると
「シルバーバックに挑んで勝ったらね」
つんと冷たい応え
あの怪物に挑めだって!
殺されちゃうよ…
ぼくは群れを逃げ出した
シルバーバックが追いかけてくる
「どこにも行けやしないぞ
人間を捨てたおまえに
帰る場所なんかあるもんか!」
振り返った時、ぼくには見えたんだ
ボスの目に宿る悔しさ、悲しさが
ああ、おまえも、いつか
ロストチャイルドだったんだね!
ぼくは逃げ回る
動物園中を
飼育員たちが追いかけてくる
ネットや棒を持って
野次馬がどんどん集まってくる
パトカーも消防車も
銃を抱えたハンターたちも
ぼくはホールに追い詰められた
じりっ、じりっと人の輪がちぢまる
ぼくは叫んだ
「ぼくは人間なんだ!」
でも、声はゴリラの咆哮だ
あれ、人混みの中に父さんがいる!
「父さん、ぼくだよ!」
グワォー!
ぼくの声はゴリラのままだ
人中にちらりと緑のラガーシャツ
あの飼育員だ!
彼の手は、ゆっくり
ホールの片隅を指さした
忘れられた古いピアノを
窓からもれ入る月の光
呪文のような風の声
…示せ、人とけものの違いを…
ぼくはピアノに突進した
猿まねという
サルは上手に人をまねる
イルカもオウムも、イヌだって、ネコだって
上手にまねて芸をする
人におもねって笑いもする
時には言葉だってしゃべる
だけど、これだけは人間にしかできないんだ
そして、ぼくは人間なんだ!
ぼくは弾いた…
月の光
透き通った夜空に
静かな並木の小道を
うっとり身を寄せ合って
言葉少なに歩む人々
優しいまなざしも
愛のほほえみも
きらめく光の波間に
みな金色に溶け合って
ホールはしんと静まりかえっている
鍵盤の上にぼくの手が見える
汚れているけど人間の手だ
だれかがぼくの肩にそっと手を触れた
振り返ると、父さんだった
「じょうずに弾いたね」
父さんの目は真っ赤だった
「でもな
オオタニを目指すのも悪くないと
私はおもうよ」
ぼくは父さんに抱きついた
ごめんなさい、父さん…
Yumi

Illustrated by HIkaru 🐰
絵とおはなしのくにhttps://yumiito67.wordpress.com/2025/09/08/%e6%9c%88%e3%81%ae%e5%85%89/


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