8月の老兵たち

戦争

チリチリ焼け付く暑さが続くと

近所からおじさんたちが集まって来る

ほんのちっぽけな水たまりに寄るチョウやトンボのように

おっかあに「公民館にでも行って涼んで来ね」と家を追われた難民たち

「あっついのう

ねーちゃん、冷たいお茶、一杯、いれてんでの」

大正生まれに「ジェンダー」は通じない

「はいはい」とよく冷えた麦茶をお運び申し上げる

肩をぽんと叩かれようと

「あんた、このごろ、やつさんの(化粧しないな)」なんて言われようと

いちいち気にしていては仕事にならない

どっかりソファに尻を沈め

クーラーと冷たいお茶に相好を崩して

長い暇つぶしに入るおじさんたち

心頭を滅してワープロに向かっていても

会話は自然に耳に入る

おっかあの小言、他愛のない仲間内の噂から

時節柄、話題は先の戦争に

招集されたのは全国屈指のS-36連隊

大陸経験者たちが語る

本物の戦争

勇猛で鳴らした連隊の元兵士たち

強兵は従順な土地柄に育つと言う

東北、北陸…

厳しい冬に鍛えられた無口で辛抱強い若者たちは

もっとも過酷な苦難に黙々と耐えるから

だが、

おじさんたちに誇る気配は微塵もない

「日本兵ほど残虐なものはないのう」

最古参の言葉にだれも異を唱えない

とつとつと語られる

ひとえに軍刀の切れ味を試したかった

一人の軍曹の所業

新しい玩具を手にした幼児まがいの

「日本兵ほど残虐なものはないのう」

みな静かにうなずく

節くれた手や安物の湯飲みに目を落として

「腹が空いてのう」

からりと話題が変わる

冗談好きの愉快なおじさん

ネタは現地の畑の盗み食い

悪童が近所の柿を盗って食べた、とでも言うように

ああ、父からも聞いたではないか

招集先の霞ヶ浦

まだ戦場でもないのに空腹に耐えかねて

友と二人

人家の畑で生ピーナツをかじったという

さみしい月に照らされながら

沖縄戦に向かうはずだった…

「だがな」

と元畑泥棒のおじさんが真顔になる

「うら、クーニャンだけには手を出さんかったぞ」

クーニャンは現地の娘たちのこと

激高も歌もシュプレヒコールもなく

政治にも

氾濫するメディアに乗ろう野心にも無縁な

ただの近所の気のいいおじさんの

かすかに同輩への

決して口にすることのない憤りを潜めた

堅固で厳かな矜持

あの老兵たちを見る機会はもうない

国が隣国に「遺憾」を表したあたりの話だから

それでも、今年も夏が来て同じ議論を耳にする

「虐殺は本当にあったのか?」

数多の見解がメディアを賑わす

資料、見識、伝聞、想像、加えて国際情勢

そして、それぞれの思い入れ

私は混沌にはじかれ

気がつけばぽつんと思慕している

見たことしか語らなかったあの素朴な人々を

その削がれた言葉の高潔さを

虐殺

それは何を意味するのだろう?

どこかで聞いた

一匹の羊を助けるために99匹を投げ出す羊飼いの話を

不合理な話だ

不合理なはずだ、数の話ではなく

愛の話なのだから

垣根に咲く有象無象の花ではなく

愛した唯一のバラの

虐殺とはそれがむしり取られることではないのか

莫大な制作費と多数の人間を投じ

戦争のむごさを見事に描くハリウッド映画

でも、私には十分だ

かつて祖母の語った一言で

「弟はガダルカナルで戦車に轢かれて死んだんだと」

この世の一体どこに

戦車に轢かれて死んでよい人間がいるだろう!

この世にたった一人でも

それが二十歳の大叔父ならばなおさら

数の話ではない

愛の話なのだ

「ねーちゃん、もう一杯、お茶」

話題が祭りに移って

おじさんたちの機嫌がもどる

「はいはい、はいはい」

私は結露した特大やかんを携え

麦茶を注いで回る

ある夏の日

献茶するごとくに謹んで

語れない思いをどっさり抱えたまま去り行く人々に

Yumi  8月の老兵たち

Illustrated by Hikaru 🐰

平和の鐘

コメント

  1. […] 詩「8月の老兵たち」https://bluepaint.blog/2025/08/07/8%e6%9c%88%e3%81%ae%e8%80%81%e5%85%b5%e3%81%9f%e3%81%a1/ […]

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